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コラム 毎週木曜21時更新

2018年1月18日  クイズの知識の価値

先週のコラムでは「続ける」ことをテーマに書いたが、今週は反対に「やめる」をテーマに書いてみようと思う。

自分が進んできた道に悩みを持ってしまう人がいる。このままこの道を進んで行っていいのだろうか、という類の悩みである。
クイズでも悩む人がいる。このままクイズを続けようかやめようか、という感じで。

クイズをやめようかと思ってしまう理由は人によって様々なんだろうけど、だいたいが3つの原因に集約される。すなわち「結果が出ない」「人間関係」「(クイズ自体が)つまらない」だ。
まあこれは別にクイズに限った話じゃないんだけどね。

ちなみに僕も生涯に一度だけ本気でクイズをやめようと思ったことがある。その原因はやっぱり「(自分以外の)人間関係」だった。
ただそのときは1週間ほど真剣に考えた挙句に、「いや、オレはオレで強くなったらええし、勝てばええだけや」と割り切って「継続」を選んだ。10代のときの話である。

あ、そうか、似たようなのがもう一度あるな。「戦士としては卒業します」って全国放送でタンカを切ったやつね(笑) あれは「結果が出ない」ではなく、「結果が出た」からやめる方向に行ったという、レアなケースだな(笑)

クイズに悩むこと自体は全然アリだと思うし、むしろ好きに悩んで、やめたかったらやめればいいし、続けたかったら続ければいいとも思う。

ただ、悩んだ原因がたとえば「結果が出ない」だったらそれは単純にやり方がズレてるだけだろうし、「人間関係」だったら環境を変えれば改善されるわけだから、もしそれが原因でクイズをやめるのなら、もったいないといえばもったいない気もする。

ではもう1つの「(クイズが)つまらない」と思ってしまう人はどうだろうか。
先週も書いたが、もしクイズに「飽きた」のであれば、これはもう仕方のないことだ。
誰もその人を止めることはできない。
クイズを通じてできたせっかくの縁だったけど今回は薄れてしまいましたね、という話だ。もし再び戻って来るならまたそのときにねー、という具合になる。

ただ、「つまらない」の理由が「飽きた」だったらいいんだけど、「結果が出ない」だとか「人間関係」だとかを「クイズはつまらない」と置き換えて誤解するのはどうなんだろうとは思う。何もかもクイズのせいにすんなや、と言いたくなる(笑)

しかしながらこんなのはまだマシな方だったりする。
ひどいパターンになると、「つまらない」や「飽きた」の理由付けとして、「クイズと知識」という壮大なテーマを選んで語り出す奴が出て来るのだ(笑)

これ、昔からよくある話なんだけど、そういう奴は、クイズをやる上で得た知識やゲームを戦う上で必要となるクイズ知識の「価値」を問うてくるのだ。

具体的な例を紹介しよう。たとえばクイズの文学の問題があったとする。本の題名も主人公の名前も、物語の筋までも答えることができるがまだ読んだことはない。そういうのはよくないのではないか、みたいなものである。

クイズの知識は薄っぺらく、物事の上っ面の部分ばかりを見たり掬ったりしている。そんなのは意味がない!価値がない! というものなのだ。

そりゃ、クイズをやったことのない市井の人がこの言葉を言うなら仕方ないかも知れない。これまでも何度か書いているが、僕らがプレーするクイズの面白さは一般の人々には案外知れ渡っていないわけで、それが原因で誤解を生んでしまうのは仕方がないからだ。
しかし、このような意見を何年かクイズに取り組んだ人間が言ってしまうのを聞くと、さすがにどうなんだ、と思ってしまう。

これって、「クイズ」というスポーツが(マインドスポーツではない。あくまでもスポーツである)、どうしても学校のお勉強の延長線上、または周囲にあると誤解したまま、それが頭から離れない人の意見なんだよね。

「クイズの価値」を論ずることは世の中の「常識」に照らし合わせば支持されそうな理屈を持っている。言っていることに何の矛盾も無理もないからだ。

僕もこの理屈をふりかざす人を取り立てて責めたり論破したりする気はさらさらない。逆になるほどなー、と感心までしてしまう。すごいねーって。クイズってそんな価値があったんだねーって(笑)

僕のコラムをよく読んでくれている人なら、そろそろこの「価値論」のオカシさに気付いていることだと思う。わかるよね? ではご唱和いただきます。せーの。

「クイズ問題に価値なんかないわ~」

だよね(笑)

価値を振りかざす人が言いたいことはよくわかる。しかし残念ながら、クイズというのはもういうものではないのだ。

クイズは、読んだこともない本についての問題に正解し、見たこともない映画の問題に正解し、行ったこともない世界各地の問題に正解し、食べたこともない料理の問題に正解するものなのである。それ以上でも以下でもないのだ。

続けてみようか。
クイズは、会ったこともない歴史上の人物の問題に正解し、降り立ったこともない惑星の問題に正解し、見たこともない化学反応の問題に正解し、やったこともないマイナースポーツのルールの問題に正解するものなのである。

だいたいクイズの価値を論ずる人は、最初に書いた本や映画や料理を例に挙げて語ってくる。しかしながら、後の例を出すと持論を展開することができなくなる。
いかにこの理屈に縛られることが下らないことか。

経験こそ大事とし、何でも知ってみようやってみよう行ってみようという精神はもちろん素晴らしいものである。しかしそれを掲げてクイズそのものディスるのは情けない。いいからアホは黙っとれ、と言いたくなるのである。(あら、お下品な言葉を言ってしまいましたわ。これは失礼しました)

ただし、経験こそ大事、という考え方は僕も大賛成ではある。
むしろこれはクイズを長年続けている人ほど思っていることではないだろうか。

クイズが知識の上っ面を扱う競技と割り切ってその道を進んでいると、次第に個人的な欲求としてクイズによく出るネタを経験したくなってくる。
「○○を食べてみたい」とか「××に行ってみたい」とかいうものである。

しかしながらこれらはあくまでもマニアックな趣味であり、クイズの本質とは違うものである。(もちろん、「クイズが誘発するもの」と解釈すれば、クイズの本質に備わっている魅力の1つと考えることもできる)

クイズにおける知識の扱いは、それが上っ面の部分にあるものであろうが、すごく深い部分にあるものであろうが、同じなのである。それどころか「知識以前」とも言える、口から突いて出た「ハッタリの嘘八百」でも同じなのだ。

とにかくゲームでは「問題」という形で知識の断片がピンポイントで聞かれてくるわけで、解答者はそれを正しく打ち返せばいいだけなのである。

大原則なのは、クイズにおいては知識に価値の差はなく、ましてや深浅や貴賤などもない。クイズはどこまでも自由なのだ。
その「答」が頭の中のどんなルートを通ってきたとしても、「正解」だったらポイントが入る。ただそれだけのことなのだ。どんなものでも1問正解は1ポイントなのである。

それより外のことの一切は、個人のマニアックな趣味の世界となる。だから「クイズと知識の価値」の話なんかで誰からもこちら側の姿勢を糺されるいわれはないし、反対に論を振りかざして誰を糺してもいけないのだ。

クイズにもし価値基準があるとすれば、それは「正解」か「不正解」かだけだろうけど、ひょっとしたらそれすらも普遍的な価値を持たないかも知れない。だって対戦ではわざと間違うこともあるし、誤答から生まれる正解もあるからね。

つまり、クイズは奥の深い、面白さに限りがないスポーツであるが、シンプルなものなのである。
そんなゲームを、楽しいと思って続けるならそれはそれでいいし、つまらないと思ってやめるならそれもまたいい。そして時間が経ってまたやりたくなったら始めればいいだけなのだ。もっとシンプルに考えてみよう。

ではまた来年の木曜日。




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