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コラム 毎週木曜21時更新

2017年9月17日  『28年前日記』その11:第9チェックポイント ショットオーバー(1989年9月17日)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 僕と秋利が本当に仲が悪いと思ったようである
実は本当です。
※2 「秋利キライ!」などと書いてあったが本当は仲がいいのだ
「秋利キライ!」 GJ。
※3 と『もーれつア太郎』も言っている
細かすぎるなー。70年代生まれの中学生には無理だなー。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※4 僕はこのバンジージャンプをやりたくて仕方がなかったからだ
放送時、僕は「ここでは負けたくない!」と叫んでいたが、その実はやりたくて仕方がなかった。ではなぜあんなことを言っていたのか。それはカメラが欲しかったからである(笑) ただそれだけだった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「永田さんが復活する」という情報を僕らが事前に知っていた話はシドニーでのコラムに書いた。しかし実はその時、もう1つ知ってることがあった。
それが「ニュージーランド行き」である。
これは僕が仕入れたネタではなく秋利が仕入れたものだった。
奴の話によるとどうもスタッフが持っていた書類が見えてしまったらしいのだ。そこにはニュージーランドへ行くとはっきり書いてあったとのこと。(実はウルトラクイズでは案外こういうことがある)

ニュージーランド行きがわかり、秋利は僕だけにそれを打ち明けに来た。
「どうもニュージーランド行くらしいぞ。」
「ホンマか! 何で知ってる?」
「書類が見えた。」
「そうかー、ほなマジやな。」

と、2人でコソコソと真剣な顔つきで立ち話をしているその時だった。

「まーた、お前らは何を悪巧みしてるんだー?」

全く無防備だった。後ろからトメさんが声を掛けてきた。
マイクに近づいて話す漫才コンビのような立ち位置でいた僕らの後ろから、右手で僕の右肩を、左手で秋利の左肩を持ってのトメさんの登場である。

いやー、あの時はびっくりしたの何のって。全身の毛が逆立った感じがした。ビクッと体が動いたのは確実にトメさんにはわかられてしまった。

「いや、これからどこに遊びに行こうか、って話をしてたんですよ。」
「ふーん、そうかー。」

トメさんはそう言い残してどこかに消えて行った。

この僕と秋利の話はシドニーでクイズをやる前の出来事である。これから移動するというタイミングでホテルの前で話をしていたのだった。
秋利が手招きをして僕が近づいて行き、耳打ちに近い形でのコソコソ話を始める。しかもこっちも途中から顔つきがマジになって行ったのである。これはもう見る人が見れば秘密の話し合いにしか見えないだろう。

一体トメさんはどの段階で僕らの後ろにいたのか。ネタの大きさに僕らは周囲の確認を完全に怠っていたのだ。
敢えて聞かなかったのだが、ひよっとしたらトメさんは全部聞いていたのかも知れない。というのもあんな登場の仕方はあの時が最初で最後だからだ。

僕らはニュージーランド行きの情報をみんなには伝えたが、やはり「知らなかったことにしような」という打ち合わせをしてシドニーの本番を迎えた。

さて、永田さんが帰ってくることもニュージーランドに行くことも全部僕らは知っていたが、それを表に出すことは絶対にしなかった。それはなぜか。番組のクオリティに対するケアだからだ。

ウルトラクイズは約半年をかけてコースや企画、問題が作られる。スタッフはより面白いもの、より良いものを作ろうと本気で頑張っているのだ。
そしてその味付けとして僕ら挑戦者たちを精神的に追い込む。情報をギリギリまで与えずにいて、その時その時の「初見の反応」をカメラに収めるのだ。

クイズのゲームそのものは流れによるんだけど、チェックポイントに着いた瞬間やクイズのルール説明の表情などはスタッフのやりようによっていいものが撮れるのである。
となるとこの関連ものでは最も時間的に早いものは、「次は◯◯です!」という、次チェックポイントの紹介時となる。つまりここでも新鮮な驚きは撮れるのだ。

でも、もしそこで僕らが、ああそれは知ってるよ、みたいな空気感を出せばどうなるだろうか。それは放送には耐えられないものになるに決まっている。

問題はここからなのだ。そういう空気感をスタッフは無茶苦茶嫌うのである。
そういう空気感が出そうになったらスタッフはどういう対策を取るか、多分彼らは「内容を変更する」を選択するだろうと僕らは考えたのである。

つまり、半年かけて考え抜いた「面白いもの」を、僕らにバレてしまったというだけで「違うもの」をやろうとするのである。これはマズい。なぜならばかなりの高確率でそれは「面白くないもの」になるからである。

もちろんウルトラのスタッフは凄いので、それでもある程度以上のクオリティのものは作るに決まっている。その代表的な例がゴールドコーストの「ライフセーバーのようなクイズ」である。あのクイズ、僕らからしてみれば十分面白いものなのだが、あれはあくまでも急遽作った形式で(だってそもそもゴールドコーストには行く予定はなかったんだから)、スタッフは帰国後の飲み会で「急遽作ったからあの程度のものしかできなかったんだよなー。」と言ってたからね。

僕らはとにかく「最高のウルトラクイズで優勝する」ことが目標だったので、それならば練って練って練り尽くされた企画で勝負したかったのである。
「永田さん復活」も「ニュージーランド」も僕たちは知っていてはいけなかった。もっと正確に言うと、知っていることを知られてはいけなかったのだ。

ちなみに今回のショットオーバーでも同じようなことがあった。
町の土産物屋で働いていた日本人の兄ちゃんたちはこっちがウルトラクイズだとわかると口々に「ああ、だったらあそこでやるんだなー。」と言っていた。僕らが「どこですか?」って聞いても彼らは頑なに「行ったらわかるよ。楽しみにしときなよ。」と言うばかりで結局は何も教えてくれなかった。
スタッフからしたら100点満点の対応である。聞いた僕らがこんなことを言うのもおかしいが、教えてくれなくて本当に良かったのだ。

「情報」は扱いが本当に難しい。情報を提供するとみんなが興味を持ってくれるから、情報を手に入れたらすぐに全部吐き出すアホみたいな人がたまにいる。しかしそういうのは「第13回」では1人もいなかった。
ひょっとしたら立ち話を全部聞いていたトメさんも、僕らが情報の扱いをどうするか、実はわざと泳がせていたのかも知れない。

ウルトラクイズはどこまでも騙し合いなのである。

というわけで、次のロサンゼルス篇は20日の夜に。


僕らが記念写真を撮っていると、右側を歩いているトメさんが…<

自ら入って来てくれたのだった!
ちなみに最前列におられるのは篠崎プロデューサー。

その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)
その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)
その10:第8チェックポイント クイーンズタウン(1989年9月16日)
その11:第9チェックポイント ショットオーバー(1989年9月17日)




コメント(12)

“『28年前日記』その11:第9チェックポイント ショットオーバー(1989年9月17日)” への12件のフィードバック

  1. あきとし より:

    皆さんお待ちかね、
    <<飲み屋の常連コーナー>>
    だよ~ん。

    今日のはネタいっぱいあるし、拡大版で行こうと思う。どうやらこのコーナーも大人気のようだし。(^^)
    問題ないよね?

    さてと。
    ニュージーランド行きの情報を事前入手したときのことやけど、あれは、バスに乗ってるときに、前の席のスタッフに声かけようと身を乗り出したら、スケジュール表が丸見えになってて、そこにクライストチャーチ行きのフライトNOが書いてあったんや。これはもう動かぬ証拠。それはそうと、あの頃のガイドブックはたいていオーストラリアとニュージーランドがセットになっとったから、ふつうに考えてニュージーランドにも行くやろうに、それを考えんかったオレたちもどうかしとったな。南極行くとかほざいてたやつもおったしな。(誰を隠そうアホの長戸のことや)

    それにしても、その後のコソコソ話の最中に背後からトメさんに襲われたときには口から心臓が飛び出そうになったわい。あれはホンマにびっくらこいた。あれ、やっぱ聞かれとったんかいな。
    まあ、でも、ショットオーバーでのワーホリのお兄ちゃんたち情報とか、永田さん復活情報とか、情報戦が凄まじかったよなあ。

    それにしても、ニュージーランドの最後の晩にラム食えて良かったよな。まともな西洋メシはあそこぐらいじゃなかったっけ。オレたちの直訴がなかったら、ラム食わずじまいで南半球を離れることになっとったはずやし。恐るべし、ウルトラクイズのアジア飯道中。

    ああ、それと、「長戸帰れ~」で思い出したんやけど、「帰れTシャツ」があとちょっとだけうちの実家に残っとったわ。10枚くらいやったと思うけど。欲しい人おったら、この<飲み屋の常連>コーナーか「秋利美記雄のブログ」かツイッターでもいいけど、Tシャツほしいって連絡くださいね。送れるのは日本に帰ったときやけど。宜しく。

    • Nagato より:

      と、秋利のアホがぬかしています。

      南極には本気で行くかもと思ってたからちょっとしたガイドブックは持って行ってたもんな。悪かったな。
      でもあのときのラムは美味かった。

      とりあえずTシャツがあるんだと。みなさんよろしくねー。

  2. みほ より:

    長戸さんはじめまして。

    当時、名大の隣の南山大の学生だったため、秋利さんを最初は応援していました。(ウルトラ放送後、名大の学食で秋利さんに会えないかな~と思って何度か食べに行きましたがついに会えず)

    放送が進んでいくうちに、長戸さん&秋利さん両方の応援をするようになりました!大好きでした。

    「長戸帰れー!」
    「秋利帰れー!」
    の応援の応酬には、仲が良いからこその言い合いだと微笑ましく見ていましたが、この記事の

    >僕と秋利が本当に仲が悪いと思ったようである
    実は本当です。

    またしても笑わされてしまいましたが、真相はどちらなのでしょう(笑)

    • Nagato より:

      メッセージありがとうございます。初めまして。

      仲が悪いに決まってます。よろしくお願いします。

  3. まさと より:

    コラムの更新を毎日楽しみにしています。
    長戸さんの叫ぶ言葉、ちゃんと用意されてたんですね。トメさんが「言うことないかい?」と振ってるので、端から長戸さんに決めさせようとしてるのかと思ってました。
    もしかして、話の流れで急遽聞くことにしたのか?
    あるいは、長戸さんの見事な返しでスタッフが一本とられたのか?
    裏話が聞けるのは嬉しいんですが、さらに裏があるんじゃないかと疑心暗鬼になってきます(笑)

    • Nagato より:

      メッセージありがとうございます。

      あれね、本当にアドリブなのよ。
      後でトメさんが、「ああ言ったら、絶対にオマエはそう言い返すと思ってた」と仰ってました。
      でも本当に言いたかったのは「秋利帰れー、アホボケカスー!」でした。「青森」と答える前にちょっとそれが漏れています(笑)

  4. ari より:

    28年前日記、ありがとうございます。
    秋利さん、田川さんの日記を拝見した時にも思ったのですが、当時は毎日現地の肉を食べてるもんだと想像していたので、アジアの食ばかりだったというのはとても意外でした。
    この回はやはり「長戸帰れ!」「秋利帰れ!」が印象的ですよね~。しかしこれも予想外におふたりはとても仲良しだったのですね(笑)
    また、今ではバンジージャンプは日本でも出来る所が多くありますが、当時は衝撃的でした。私の住む県にも素敵なバンジージャンプ場があるので、長戸さんいかがですか?(笑)
    終わりが見えてきて寂しいですがあと少し、楽しみにしています。

    • Nagato より:

      メッセージありがとうございます。

      いえ、予想通りです。仲は良くありません。

      バンジージャンプはなかなかやるチャンスがないね。あったらやってみたいなー。

  5. ベンガル より:

    このチェックポイントではなんと言っても長戸さんと秋利さんがお互いに帰れ!と叫びあったのが印象に残っていますが、オンエアでも秋利さんが勝ち抜けた後に「長戸帰れー!長戸帰れー!」と言っているシーンがあります。

    これを見てふと思ったのですが、ここで先に抜けてたのが長戸さんだったら勝ち抜けられたときにどうしていたんでしょうね?秋利さんが長戸さんにしたように、「秋利帰れー!」って叫んでいたんでしょうかw?

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